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RYO NISHIKIDOが好きな人間の長い話。

2019

2019年も終わるので、今年感じたことや思ったことをまてめておくことに...。

 

今年のことは今年のうちにさっぱりしておきたい。

 

RYO NISHIKIDO LIVE TOUR "NOMAD"

錦戸くんがソロ活動を開始して一番にやってくれたツアー。

アルバムが出る前だけど、まず自分のことを応援してくれている人に会いに行くことが最優先であったと開催してくれたツアー。

アルバムに収録されていたツアーメイキングを見ていても、結構ギリギリ...というか、本当に短期間で曲を作って、レコーディングして、グッズのことを考えて、リハもやって過ごしていて...。10月初旬に行われた一番最初の音合わせの映像を見ていてすごく印象的だったのが「曲作らなあかんやってね!」っていうところ。(ちょっと他人事感があるのがかわいかった)10月の時点でツアーで披露する曲(アルバム収録曲)が全ては完成していなくて。きっと全ての曲を追い込まれずに余裕をもって制作して、完璧に叩き込んで披露しようと思ったら、年内のツアーは不可能だったのかもしれないなとも思っていて。でも、かと言って、別に楽曲のクオリティが低いわけでも、ツアーで披露してくれたステージが酷かったわけでもなくて、アルバムに収録されている楽曲は全て素晴らしい完成度だったし、ツアーでの披露も十分すぎるほどに素敵だったんですが。でも、多分本当に完璧な状態で挑むなら、年内にできたことってアルバムの制作くらいだったかもしれないな...と。それすら実際にやろうと思って実現可能なことなのかは私にはわからないけれど...。長い間、グループを掛け持ちして、ドラマや舞台、ツアーを並行してやってきた錦戸くんだからこそ可能であったことでもあるとは思うけど、それでも多分かなり無理があるスケジュールを組んで走り続けた数か月だったと思う。でもそうやってアルバム発売前で曲も知らない状態で申し訳ないと言いながらも、応援しているファンに会いに来てくれたこと。私は本当に嬉しく思うし、幸せに感じるし、いくら感謝してもしきれないほどに感謝しています。

そして、この時間がない中で...皆さんそれぞれが他のお仕事も詰まっていて忙しい中で錦戸くんを支えてくださり、素敵なステージを作ってくれたバンドメンバーの皆様にも感謝してもしきれません。

 

アルバム「NOMAD」発売

発売から数週間経って、ツアーも終わって、時間にも余裕ができてじっくり聴いてみて。毎日聴いてはいたけど、ラッシュアワーに超満員電車で人に押しつぶされながら聴いてるとじっくり細かい所まで聴けていなかったんだと実感しました。一曲一曲がすごく拘って(?)作られていて...。楽器の音の入れ方とか、左右での音の入れ方とか、ハモリ一つ取って考えても、すごく拘っていて。全楽曲で違うどころか、一番、二番、大サビ、ラスト...一曲の中でもかなり違っていて。レコーディングの様子もアルバムに収録されているメイキングでチラッと見ることができたけど、本当に細かく色々と自分で考えながら制作していて。時間がない中で、妥協せずに良いモノを作って届けてくれたことが嬉しくて、愛を感じました。

自分がやりたくてやっていることだと言ってしまえば確かにそうかもしれない。でも、どんなにやりたいことでもここまで突き詰めて、短期間ですべてを完成させることって誰にでもできることではなくて。それ相当の覚悟とやる気と根気と愛がなければ不可能だと思っていて。こうやって今もなお、頑張ることをやめず、努力することをやめずに芸能界という過酷な世界で走り続けようとしている意志が感じられてとっても嬉しかったです。

 

オモイデドロボー

止まることのできない人だとも思っているから、こうやって次々と何かを発表し続けることに対してはいい意味で驚きはないけれど、錦戸くんならこのスピード感で来るよね~というのかな。でも、驚きはなくても、ツアーのオーラスで披露してくれた曲をその数時間後に配信して、私たちが聴けるようにしてくれるのがすごく優しくてとっても嬉しくて。なんばの公演だか大阪のどこかの公演で 、昔作ってた曲をスタッフさんと聞いてて、曲がない曲がない言っていたのにどうしてこれを出してこないんだと怒られたみたいな話をしていたみたいですが、錦戸くんは最初からこの曲をクリスマスプレゼントにしようと一人で思っていたのかな~なんて妄想までして、心が温かい冬になりました。まだ冬は始まったばかりだけど、オモイデドロボー聞いて温かい気持ちで春を待てそうです。

 

錦戸くんの仕事が早いことも、決断力があることも、周りの方々がそれに応えてくれることも勿論だけど、こうやって思い浮かんだことを即実現できる理由の一つは、1から100まで無理をして一人でやろうとしないからなのかもしれないなぁなんて思いました。どこからどこまでは自分でやって、どれくらいは信頼できる方々に委ねるのか...そういうバランスが絶妙なのかもしれないなぁと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あまりこの話題に触れる気はなかったんだけど、来年はもうこの話は忘れたいから私の個人的な思いを。なんだか各々都合のいいように切り取って拡散されて妙に話題になってしまったファンの名前のお話。まあ私もいつだって自分の都合のいいように考えるからそこは私が何か言える立場ではないけれど。

私はその場にいなかったから、詳しくは知らないから言及はしてこなかったのだけど...。というよりも、レポをあんまりちゃんと読まないタイプだから...っていうのもあるんだけど。

その言葉がどうだとか、それがいいか悪いかという話ではなくて、そこではない部分の個人的な思い、、、。

私は錦戸くんがジュニアだった頃に偶然惹かれて、気が付いたらファンになっていて、NEWSのメンバーとしてデビューして、関ジャニ∞としてデビューして、気が付いたら今のような他からみたら熱狂的なファンとも思われるようなオタクになっていた人間で。以前からTwitterをフォローしてくださっていた方や前のブログを読んでくださっていた方はご存じかもしれませんが、私は別に箱に拘りがないファンで。両方のグループにいる錦戸くんが同じくらい大好きだったし、俳優の錦戸くんのことも同じように大好きだったし、錦戸亮でさえあれば何でも良かった...何でも好きだった...そういうタイプで。

まぁ箱に拘りがなかった...というよりも、箱に拘ることが出来なかったのかもしれないなぁと今になって思うけど。2つのグループに自分の好きな人はいて、自分の好きな人はその2つのグループで一生懸命頑張っていて...そうやってどこにいても頑張る好きな人を目の前にして、一方の箱だけに執着することが不可能だった...というか。それにどちらのグループのファンにも、ごく一部ではあるけど片方のグループでの活動を否定する人がいたこともあって、自分の性格的にそのグループのファンの輪に入ることができなくて。そのファンの集団の中に居場所が見つけられなくて。結局、一つのグループに専念した後も、私はそのまま箱に拘ることができなかったし、そのグループのファンの輪に入ることはできないままで。でも一つだけ間違いなく言えることは、そうだからと言ってグループが嫌いだったわけでもないし、グループを否定していたわけではないし、グループ全体のファンをよく思っていなかったわけでもなくて。けど、それでも私はグループでデビューしたその瞬間から最後まで、グループのファンにつけられた名前のそこの輪に入ることもなければ、自分がそこの一員だと思ったことはなかった。

そんな自分にとっては、錦戸くんの考えが救いだった。

ファンの名前を否定するわけではないけど恥ずかしくて呼べない、と

ライブでファンのことを名前で呼ぶことで”私は違うんだ思う人がいるかもしれない”(超ニュアンス)、と

滅多にファンのことを名前で呼ばずに ”応援してくださる方” ”ファンの皆さん” そういやって呼びかける錦戸くんにかなり救われてきて。

でもファンのことを名前で呼ばないからと言ってファンをおざなりにして来たわけでもなかったし、いつも応援してくれる人のことをすごくよく考えてくれて、思ってくれて、どんなことが喜ぶのか理解してくれていて、いつだってファンに寄り添ってくれていて。

そういう積み重ねてきた15年があるから...(まあデビュー当時にはファンに名前はついてなかったけど)、私は錦戸くんが ”自分のファンに名前を付けること” を恥ずかしいと思うことに何ら違和感はないし、ファンに名前はなくていいと思うし、もしいつか錦戸くんがつけたくなる日が来たなら、その時には自由につければいいと思ってるし。

この話に終わりがない...というか、まとまりもなくて何が言いたいのかもよくわからないけど、どんな悪口も、誹謗中傷も、なるべく気にしないようには頑張ってたし、それでも言いたいことはお友達との間だけで完結するように心がけていたし...でも、すごく心に引っかかるものがあって、こういう人間もいるんですよ...っていうことで書いてます。もうこの一件については今年に置いて2020年を迎えたいから、最後に書いてます。特にこれを書いたからといって意味はないし、で?っていう話ではあるけど、こういうタイプの人間と出会ったことがない方がたまたま目にしたとして、こういう考えの人も世の中にはいるんだなぁくらいに思ってもらえればなぁと。私の考えが全て正しいとは全く思わないし、錦戸くんのファンの総意でもないし、悲しむ人、怒る人がいてもその感情を真っ向から否定しようとも思わないけど、あまりにも彼を完全悪にしようとする人の声が大きすぎて、苦しかったので。世界の全ての人間が好きなものなんてこの世に存在しえないはずだから、批判があるのは当たり前だと思うし、あるべき...というと何だか変だけど度の過ぎない批判であればあってしかるべきだと思うけど、あまりにも度の過ぎた言葉やただの誹謗中傷が並ぶその光景が恐ろしかったので、最後に書きました。

 

年末にこんな話題すみませんね。

この話で終わりたくもないから、最後に別のお話を。

 

 

 

 

できることは何でもやりたい、と。自分の可能性は狭めたくない、と。

そうやって何かに挑戦し続けようとするその姿がやっぱりかっこいいし、他の誰でもない自分と戦い続ける姿が美しいし、私にとっては世界で一番かっこよくて素敵な人だなぁと感じています。

 

 

 

多分ここの過去記事でも何度か言及してきたけど、錦戸くんの過去を、過去の自分を否定しない姿勢がすごく好きだということ。過去があるから今がある、そういうのを感じられる生き方がかっこいいということ。

狛犬を聴く度に、錦戸くんが大きなバッグに夢を詰め込んで駆け出した日はいつかな~とか、今の自分はイメージとはかけ離れてるのかな~とか考えながらも、例えそうであったとしても、錦戸くんも狛犬の主人公のようにできる限りのことはやって来てるから仕方がないって思えているだろうな、そうであって欲しいなって思うし、もっともっと頑張ろうって思っているだろうなって感じてて。

それと同時に最後の部分の ”仁王像のように守れるように まだ見ぬ君も今も あの背中も”  の部分がすごく錦戸くんらしさが溢れているなと個人的にすごく感じていて。未来の自分も、今の自分も、そして過去の自分も守れるように頑張るというその誓いが、なんとも彼らしい表現で、すごく大好きで。

この先も変わらず、過去も現在も未来も大切にして、自分を大切にできる錦戸くんでいて欲しいなって思います。

 

 

そしてふと、色々と今年を振り返っていると必ずPotentialの歌詞が頭に浮かんで。あの頃はあの頃の錦戸くんの歌だと感じていたけど、今の錦戸くんの歌でもあるなぁ...というか。この数か月の錦戸くんを見て、感じてきて、すごくマッチするというか。あの頃、音源化されなかったことを嘆いていたけど、2019年が終わる今の私は、あの頃音源化されなくてよかった...というか、今の錦戸くんの歌声や表現で音源になったことがすごくよかったと思っています。Potentialを聴く度にきっと2006年と2019年を思い出すことになるんだろうな...と思うと何だか不思議な気持ちです。

 

 

 

 

月9「トレース~科捜研の男~」からスタートした2019年。

シングル「crystal」、15周年のツアー「十五祭」、独立、SNSスタート、FIRST TOUR「NOMAD」、初の音源配信、デビューアルバム「NOMAD」...

 

2019年、本当に楽しくて幸せでした。

他の誰でもない錦戸くんのお陰で毎日楽しかったし、寝不足の日も多かったけど振り返るとそれはそれでいい思い出だし、一生忘れられたくないと思えるような幸せな思い出が沢山出来ました。

毎日こんなに楽しくていいのかな?こんなに幸せでいいのかな?って思っちゃうほどに、毎日が楽しくて充実していて、幸せに満ち溢れていました。

 

2020年も錦戸くんらしく突っ走っていってください!

いつでも私は錦戸くんの味方だし、錦戸くんを応援しています!

2019年も大好きでした。

誰に何を言われようが、私の錦戸くんのことを大好きな気持ちが変わることはないし、そんな他の意見がが影響することはないのでこれからもブレずに錦戸くんのことが大好きです!

2020年はもっともっと大好きになる予感がします。

来年も突っ走りましょう~

 

干支が一回りしましたね。

時の流れは恐ろしい...

よっ!年男!

ちゅーちゅーねずみさんなりょーくん!!

 

 

錦戸くんの最高と健康と幸せを心から祈っております...

2020年も幸せな1年になりますように...。